東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)86号 判決
一 原告主張の請求の原因(一)ないし(三)の各事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び審決の理由)については、当事者間に争いがない。
二 そこで、審決取消事由の存否について検討する。
(一) 引用例一の記載内容の認定について。
原告は、審決が、引用例一に、紙に導電性効果を賦与するために塗布し使用される有機化学試薬として、「第四級アンモニウム塩の重合体が広範囲に使用されること」及び「低分子の第四級アンモニウム塩などが広く使用できること」と認定したとして、それが誤りである旨主張するが、当事者間に争いがない前記審決の理由によれば、審決は、必ずしも第四級アンモニウム塩の重合体ないしは低分子の第四級アンモニウム塩が右試薬として広く(すなわち、第四級アンモニウム塩ないしはその重合体といえるもののすべて又はその大部分が)使用できることが記載されていると認定したものではなく、むしろ、被告主張のように、「ホスフエート、酸化エチレン重合体、アミン塩、第四級アンモニウム塩及び第四級アンモニウム塩の重合体」に含まれる多くの化合物が右試薬として使用できることが記載されていると認定したにすぎないものとみるのが相当であるから、原告の右主張は採用できない。
(二) 各引用例と本願発明との対比判断について。
1 成立に争いのない甲第四号証(引用例一)によれば、引用例一には、前記試薬として「アルキルフオスフエート、アミン塩、第四級アンモニウム塩及び酸化エチレン誘導体がこのレポートで言及されてきた。」(同号証第一一一頁左欄表Ⅳの下第一〇ないし第一二行。訳文第四頁参照)との記載及び右試薬として「第四級アンモニウム塩の重合体」を使用した比較効果を表わす表(同頁右欄の第Ⅶ表)の記載があるが、第四級アンモニウム塩及びその重合体については、特定の構造ないしはその一般式を示す記載も、また、第四級アンモニウム塩ないしはその重合体といえるものの大部分が右試薬として使用できる旨の記載もなく、かえつて、「どの種の製品の場合でも、ある化学構造が他のものよりはるかに効果的である。よく似た組成(composition)の化合物においてもその性質が非常に異なることもありうる。」(同頁左欄表Ⅳの下第一二ないし第一五行。訳文第四頁参照)との記載があることが認められる。
2 成立に争いのない甲第五号証(引用例二)と前記争いのない本願発明の要旨とによれば、引用例二は、一九五七年(昭和三二年)に頒布された刊行物で、そこには、審決認定のとおり、本願発明における「特定の一般式に示された第四級アンモニウム塩の重合体」に含まれるポリジアリルジエチルアンモニウム・ブロマイドの製造方法が記載されているが、その重合体の用途については何らの記載もなく、また、その性状についても、吸湿性、水溶性の白い不透明な、もろい塊で、粉砕・真空乾燥後の融点が三四八~三五二度である旨の記載があるのみであることが認められる。
3 成立に争いのない甲第八号証によれば、アメリカ合衆国において、引用例二が頒布された後である一九五九年(昭和三四年)五月二九日に、第四級アンモニウム部分が高分子鎖から懸垂している形の特定の一般式を有する第四級アンモニウム塩の重合体を紙の導電性賦与剤として使用した電導性紙について特許出願され、これが同国特許第三、〇一一、九一八号として特許されていることが認められる。
4 以上認定の事実によれば、引用例一には、具体的にどのような構造をもつものが使用されるかは示されていないが、とにかく、「第四級アンモニウム塩の重合体」が紙に導電性効果を賦与するために塗布し使用される有機化学試薬として使用されることが示唆されており、引用例二には、その用途については何ら示されていないものの、本願発明における「特定の一般式に示された第四級アンモニウム塩の重合体」に含まれるポリジアリルジエチルアンモニウム・ブロマイドの製法が記載されているのであるから、引用例二の右重合体を紙の導電性賦与剤として使用する本願発明の構成に想到することは当業者にとつて至難なことではないと、一応考えられる。
しかしながら、弁論の全趣旨及び前記本願発明の要旨により認められるように、「第四級アンモニウム塩」及び 「第四級アンモニウム塩の重合体」の中には、多数の具体的構造を持つものが含まれているところ、本願発明は、既知の多くの第四級アンモニウム塩の重合体においては第四級アンモニウム部分が高分子鎖より懸垂してあるのに対して、第四級アンモニウム部分の窒素が高分子鎖の一部である環の中にあり、高分子鎖そのものの一部でなく、また高分子鎖より懸垂しているものでもないという特定の一般式による構造を有する第四級アンモニウム塩の重合体を用いるものであること、前記1に認定した引用例一の記載によれば、導電性賦与剤としては、化学的構造が僅かに相違するにすぎなくても効果が非常に異なることがあると認められること、及び前記3に認定したとおり、引用例二が頒布された後に出願された第四級アンモニウム塩を導電性賦与剤として使用する電導性紙についてアメリカ合衆国で特許されていること等をあわせ考えれば、第四級アンモニウム塩のうち本願発明における特定の一般式に示される構造の第四級アンモニウム塩の重合体を導電性賦与剤として採用し、本願発明の構成に想到することは、これによる電導性紙が、引用例一に示唆されるような従前の電導性紙に比して予測できない作用効果を有するものであるならば、当業者にとつて必ずしも容易ではなかつたとみるのが相当である。
被告は、成立に争いのない甲第一一号証を援用して、環状構造の第四級アンモニウム塩も普通に知られている旨主張するが、同号証によれば、同号証に記載のものは重合体ではなく、また、その環状構造の関係も本願発明のものと異なるから、同号証は、右の認定判断を左右するに足りない。
5 そこで、本願発明にかかる電導性紙の作用効果についてみるに、いずれもその成立に争いのない甲第三号証(本願発明の特許出願公告公報)及び甲第六、七号証並びに前記甲第八号証をあわせ考えれば、本願発明にかかる電導性紙は、高導電率、相対湿度の変化による導電性の変化が少いこと、好ましくない臭気がないこと及び地色が変化していないこと等の点において、引用例一に一般的に示唆されているような従前の電導性紙からは予測しえない作用効果を有しているものと認めることができる。
右について、被告は、まず、甲第六、七号証によつて原告が立証しようとする効果は当初明細書に記載されていないから、右効果を付加することは本願発明の目的を変更するものであり、また、審判手続で主張・判断されなかつたものであるから、本件訴訟において右甲第六、七号証を提出し、それに記載された効果を主張することは許されないと主張する。しかしながら、成立に争いのない甲第二号証によれば、当初明細書には、「電気伝導性材料の望ましい特性として白度と広範囲の相対湿度にわたる導電性の安定とがあげられる。」(同号証第三頁第五ないし第七行)、「米国特許第三〇一一九一八号では特殊の有機重合体が提案されたが、これは好ましからざる臭気及び味を有し、また紙の地色に好ましからざる影響を与えるものである。」(同頁第一二ないし第一五行)、「本発明は電導性紙として有用であるばかりでなく、各種の相対湿度においても安定した導電性を有している。」(同第八頁下から第二行ないし第八頁第一行)との各記載があり、また、実施例一として、本願発明のものが相対湿度二〇ないし八〇%で有用な導電性(〇・二五×106~〇・三×1010―同号証第八頁第一七ないし第一九行)を有することが示され(同号証第九頁)、実施例二として、本願発明の「重合体で処理した紙は好ましからざる臭気を有せず、地色の変化もなかつた。」(同号証第九、一〇頁)としていることが認められるから、甲第六、七号証に記載の作用効果は当初明細書に記載されているというべきであり、また、審決も「実施した上の効果もまた予測できることであり」(前記審決の理由)としてこの点の判断をしているものであるから、本訴において、当初明細書に記載の作用効果の立証を補充するためのものとみられる甲第六、七号証を提出し、これに基づいて主張することは許されるべきであり、被告の右主張は採用できない。
また、被告は、
(1) 当初明細書の実施例二では、本願発明のものの導電度が前記米国特許のものと同じ値であつたとしていること。
(2) 臭気と着色の有無は、第四級アンモニウム塩のもつ五感で感知できる性質からただちに予測できること。
(3) 甲第六号証の表三並びに第三図及び第四図によれば従来のナルコ―六一―J一六と、同表四及び第六図によればイオネンポリマーと、本願発明のものとが、ほとんど導電効果が同じであること。
(4) 同号証の表五及び第七図によれば、本願発明のものは相対湿度によつて導電効果が相当変化すること。
(5) 甲第七号証によつて本願発明のものの複写特性が優れているとはいえないこと。
をあげて、本願発明の効果が著しく優れているとはいえないと主張する。
しかしながら、被告の右主張は、次のとおり、いずれも採用できない。
(a) 前記甲第二号証によれば、本願発明の明細書の実施例二には、米国特許第三〇一一九一八号明細書記載の重合体を用いて得られる値と表面抵抗値がほぼ同じであつた旨が記載されているが、前記重合体は前記甲第七号証の表一により前記甲第六号証の表二の比較例化合物と同一であることが明らかであるところ、右米国特許明細書における重合体使用割合は、甲第六号証の表二の例よりはるかに多い量の範囲であり、右表二によれば、そこに記載された使用量の場合は本願発明のものが比較例に比して相当優れていると認められるが、右実施例二のように多量の重合体を使用した場合には本願発明も比較例も表面抵抗値に関するかぎり大差はなくなるものと認められる。しかし、右実施例二の記載によれば、重合体使用量の多少に関係すると考えられる処理紙の臭気あるいは地色の変色等については、本願発明のものが比較例より優れていることが認められ、同実施例はこのことを示すために記載されたにすぎないものとみるのが相当であるから、被告の右主張(1)の事実は、本願発明の作用効果についての前記認定を左右するに足りない。
(b) 引用例二にはそこに記載の重合体について臭気の有無あるいは紙を変色させるかどうかについて何ら記載されていないし、右重合体自体から五感の作用によりこれを塗布した電導性紙の無臭、無変色の点を予測できると認めるに足る資料はないから、被告の右(2)の主張も理由がない。
(c) 前記甲第六号証の表三並びに第三図及び第四図によれば、被告主張のように、本願発明のものが従来のナルコ―六一―J一六に比し導電効果においては大差がないと認められるが、右表三によれば、本願発明の重合体は耐溶剤性である点で優れていることが認められ、同号証の表四及び第六図によれば、本願発明のものと従来のイオネンポリマーとは相対湿度二七度のもとでは導電効果に大差がないと認められるが、同号証の表四及び第五図によれば相対湿度一五度のもとでは相当の差があり、結局本願発明のものは、相対湿度の変化に対してイオネンポリマーより相当の安定性を有するといえるから、被告の右(3)の主張事実も、本願発明の作用効果についての前記認定を妨げるものではない。
(d) 同号証の表五及び第七図によれば、本願発明のものは、相対湿度の変化により導電効果が相当に変化することは認められるが、右変化は、前記甲第三号証第五欄第三五ないし第三七行の記載により認められるこの種電導性紙として用いるに適した表面導電性(〇・二五×106ないし〇・三×1010)の範囲内のものであるから、被告の右(4)の主張も理由がない。
(e) 前記甲第七号証によれば、本願発明のものが、この種電導性紙として、従来のものより相当に優れているとみることができるから、被告の右(5)の主張も採用できない。
6 以上によれば、本願発明は、引用例一及び引用例二から当業者が容易に発明することができたものとすることはできないから、この点についての審決の認定判断は誤りであり、審決は、違法としてこれを取り消すべきものといわなければならない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとする。
〔編註〕 本願発明に関する事項は左のとおりである。
(一) 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和四一年九月一〇日、特許庁に対し、名称を「電導性紙」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和四一年特許願第六〇〇八一号)をしたところ、昭和四四年七月一〇日右出願について出願公告(同年特公第一五五六四号)されたが、特許異議の申立を受け、昭和四五年九月一六日に拒絶査定を受けた。そこで、原告は、昭和四六年二月八日、審判請求をし、特許庁は、これを同年審判第一〇六四号事件として審理のうえ、昭和五二年一一月三〇日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決(以下「審決」という。)をし、その謄本は昭和五三年一月二五日、原告に送達された。なお、出訴期間として三か月が附加された。
(二) 本願発明の要旨
一般式
<省略>
(式中Rは炭素原子数1ないし4のアルキル基、R´はR及びβ―プロピオンアミド基よりなる群より選択された基を示し、A´はアニオンを示す。)で示される単量体より主として誘導された重合体を三〇〇〇平方フイート当り約〇・一ないし約三・〇ポンドの割合で塗布してなる電導性紙